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ドキュメンタリー作品の感想を書くブログ

第6作目 ハイディ・ユーイング&レイチェル・グレイディ 監督作品『ジーザス・キャンプ』

このブログで取り上げる初の海外作品。

今回はハイディ・ユーイング&レイチェル・グレイディ監督の『ジーザス・キャンプ ~アメリカを動かすキリスト教原理主義~』だ。

 

 

本作は2006年にアメリカで公開され、第79回アカデミー賞ドキュメンタリー映画賞にノミネートされている。(この年の受賞作はアル・ゴア監督の『不都合な真実』)

 

それほどの話題作にも関わらず、当時日本では劇場公開されていなかったが、TOKYO MXで放送されていた、映画評論家の町山智浩ドキュメンタリー映画を紹介する番組『未公開映画を観るTV』で取り上げられ、その後アップリンクの配給で公開、DVD化もされた。

アカデミー賞ノミネート作品ですら日本では劇場公開されないわけで、ドキュメンタリーというジャンルがいかに不遇なのかを物語っている。

 

本作は、キリスト教原理主義者(いわゆる福音派)の女性が、子どもたちを徹底的に宗教教育するサマー・キャンプを取材したもの。当時のブッシュ政権を支えた米国保守派の隠された一面をクローズアップした、かなり挑戦的な作品だ。

「子ども×宗教×政治」という、面白くないはずがない見事な組み合わせで、衝撃的なシーンの連続に90分間口をあんぐり開けたまま観てしまう。

 

これは「タブー」なのか?

 

キリスト教福音派のサマー・キャンプはアメリカでは一般的に行われているらしい。しかし、日本人の感覚からすると「カルト宗教」にしか見えないだろう。

中絶や同性婚の禁止など共和党的な価値観を刷り込まれ、盲目的に従う子どもたち。さらに、学校ではキリスト教の教えに反する進化論を学ばせられるからと、子どもを学校に通わせず自宅学習をさせるという徹底ぶりだ。

キャンプで号泣した子どもたちがイエス・キリストの名前を絶叫しながら意味不明の懺悔をするシーンは、「これ本当に公開して大丈夫なのか…?」と心配になる衝撃映像となっている。

 

ただ、こうした過激なキリスト教原理主義者が、アメリカではマイノリティというわけではない。作品の中でも言及されているが、キリスト教福音派はアメリカの人口の4分の1を占めており、当時のブッシュ政権の主要な支持母体のひとつだったのである。もっと穏健なキリスト教信者でも、信仰心から中絶や同性婚に反対する人は多いだろう。

そう考えると、彼ら過激派にとって、このキャンプは別にタブーでもなんでもない。

実際、キャンプを主催するベッキー・フィッシャーは喜々としてインタビューに応じ、「神のために死ねる立派な子どもたちを育てる」という炎上不可避なトンデモ発言を平然としている。

彼らをカルト宗教だと思うのは私たちの感覚であり、当の本人たちはキャンプでの洗脳や「GOVERNMENT」と書かれたコップをハンマーで割ることを信仰上不可欠なものと考えているわけだから、特に取材を断る理由もないのだろう。

剃髪し座禅を組む寺の修行も欧米からすればユニークだろうが、この様子を取材して公開することがタブーだと思っている日本人は、あまりいないと思う。

 

また、本作のなかでは福音派が当時のブッシュ政権を強烈に支持する描写も見られる。これも政教分離が一応の建前となっている日本からすれば、異様な光景だ。

 

もし日本で「政治と宗教」をテーマにしたドキュメンタリーをやるとすれば、相当の覚悟がいるはずだ。

 

ドキュメンタリーというジャンルは、その国やコミュニティ固有の問題意識、または文化的背景に根差していればいるほど、優れた作品と言える。

海外のドキュメンタリー作品を観るとは、自身の価値観を強く揺さぶられる豊かな体験であると改めて思う。

 

福音派はこの映画をどう観たのか

 

とはいえ、本作は徹頭徹尾、福音派に否定的な立場を明確にして構成されている。

 

キャンプの様子は、どれも計算されつくしたアングルでトランス状態に入った子どもたちの表情を捉え、過激な洗脳の異様さをありありと映し出す。ナレーションはないが、監督自身の思想は、リベラル派で知られるアメリカのラジオパーソナリティに代弁させる形で進んでいく。優れた構成で、強く明確なメッセージを打ち出している。福音派の異様な実態を暴き当時のブッシュ政権にNOを突きつけようという使命感に溢れた、極めて(欧米的な意味での)ジャーナリスティックな作品だ。

 

キャンプを取材する際、こうしたスタンスを事前に監督が相手に伝えていたかは知る由もない。福音派にとってキャンプをタブー視されるのはむしろ心外だろうが、はっきりとカルト宗教のように扱われることを知っていたら、果たして取材を受けたのかは疑問だ。だまし討ちのように取材を始めたのかもしれない。

 

ただ、こうも思う。

公開された映画を観て、福音派の人たちはこう考えたのではないだろうか?

懺悔をしながら泣き叫ぶ子どもたちは、信仰を深めようと模索する立派な信者であり、その雄姿をぜひ映してもらいたい。

ベッキー・フィッシャーのインタビューは、キリスト教福音派の思想を映画というメディアで広く伝えるうえで格好の宣伝になる。

我々のキャンプの素晴らしさを見れば、リベラル派のラジオパーソナリティの吐く妄言がいかに空疎かがよく分かるだろう。

この作品は我々にとって最高のプロパガンダ映画だ―。

 

 これは、あくまで想像に過ぎない。ただ、そんなに間違った解釈とも思えない。
アメリカの人口の4分の1を敵に回すような作品が公開できて、さらにアカデミー賞にノミネートまでされるなんて、アメリカはなんて懐の深い国なのだろう!と僕には思えないのだ。

 

むしろ、こんな映画が目立ったハレーションもなく公開できてしまうという状況が、僕にアメリカという国の内にある深い断絶を想起させるのである―と書くと、斜に構えすぎだろうか?